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「ボーリング」
よく書き間違えられますがこれは 掘る という意味で英記だと Boring。
正確には「ボウリング」で英記は Bowling。
どうでも良いような事かもしれませんが、本格的に競技をしている人は結構 こだわり があります。
そしてボウリングの「ボウル」は球を意味する Ball ではありません。
ラテン語で「泡」や「こぶ」の意味を表す Bowl なのです。
ピンを 泡 や こぶ に見立てボールで倒す競技がボウリングです。
実は本格的に行なっている人も 意外 と意味を理解してないです。
さて、初めて ボウリングをしたのが 10歳 の時。
市内にあった「江平ボウル」というところでした。
1ゲームを家族全員で投げてスコアが 84点 だったと記憶してます。
当時はコンピューターはなく「テレスコ」というプロジェクターみたいなものでレーン上部の壁にスコアを投影してました。
手書でしたが計算方法は判らなくても、スペアなどが無ければフレームの足し算だけなので簡単だったと予想できます。
ボウリングの 最盛期 には市内近郊だけでも10センター以上営業していましたが、現在残っているのはわずか 2ヶ所 に落ち込んでいます。
初めて行った「江平ボウル」がいちばん早く 消滅 してしまいました。
このボウリング、趣味として最初に ハマ ったのは社会人なりたての頃。
職場の先輩に誘われて大会を見学に行ったのがきっかけでした。
ちょうど叔父も趣味でボウリング場通いをしていたので、使用していないボールを譲ってもらい何度か大会にも参加していました。
しかし、会社を退職するとボウリング場への足も自然に遠のいてしまいました。
再開したのは退職した会社に再入社した28歳頃の時。
取引先の人に勧められ会社の仲間と3点セットの マイボール を作り、景品目当てに週一ペースでセンター主催の大会に参加。
参加すれば多少なり上手くなるのでさらに 本格的 に。
やがてセンターの 会員 になり全国規模の組織にも 入会 し、県の大会をはじめ「九州大会」や「全国大会」にも参加するようになりました。
しかし「全国大会」ともなると上手い人が ごろごろ しています。
当時のレベルでは入賞どころか予選通過さえままなりません。
オリンピックの精神ではないですが、参加する事に 意義 がある程度でしたね。
子供の頃から球技は 得意 で上達するも早い部類だったのですが、ことボウリングに関しては 駄目 でした。
ゴルフと同でボウリングも 平均 のスコアでを力量が判ります。
投球するレーンの状態にも左右されますが、当時の上級者とされる180の アベレージ を越えられず、その域に達するまで 4年 位は費やしました。
単純なようでやってみると奥が深い スポーツ なのです。
それが永く続いた理由だとも思います。
本格的に始めてから30年。
県の組織の要職にも就き、競技人口の普及や競技力の強化も参画しながら 60歳 手前で辞めるまで深く関わりました。
県外大会の参加も22の都府県になり、訪問したボウリング場も50センター以上。
いちばん遠い場所は「国際交流試合」で国をまたいだ ソウル にまで行きました。
ソウルはボウリングの事ではなく、ホテルで飲んだコーヒーが全く口に合わなかった事がいちばんの思い出。
長年関わると限りなく思い出がありますが「国民体育大会」へ参加した事が最も深く記憶に残っています。
弱小だった少年種目で初めて本国体に 参加 が叶った 福島大会。
強化を図って初めて 入賞者 を輩出した 広島大会 。
あと一歩の団体優勝を 逃した 静岡大会。
初めて 優勝者 を輩出できた 埼玉大会。
本大会出場は無理との 下馬評 をひっくり返した 岡山大会
この5つの大会は一生忘れる事がない思い出です。
ボウリングとは 疎遠 になりましたが大会で交流した人とは今でも連絡は途絶えません。
プロボウラー方々ともつながり、また、交流のあった選手からプロの世界に入った者も数多い。
趣味が続くという事は 人脈 も広がります。
何事も永く続けないと実りも少ないということですね。
それではまた…。
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