わずか三ヶ月しか走ってない「新車のエンジン」を壊した話。

よもやま話
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社会人デビューしたのが昭和51年なので、今から 47年前 です。

入社した会社は地元の車ディラーの「MAZDA」

当時は社員数が 600人 近いとても大きな会社で、本社をはじめとして全県下に12ヶ所の営業所がありました。

また、重整備を行う再生工場や中古車販売センターに配車センターや部品センター、配下には自動車学校も運営していました。

全県から雇用する為、社宅や独身寮も完備されていて福利厚生も充実していました。

同期は15名 くらいだったと記憶しています。

会社には9人制女子バレーボールの 実業団 チームがあり、同期の女子にはその 推薦 で入社した者が多数いました。

チームは3年後に開催される 宮崎国体 に向けた強化指定を受けていて、度々遠征試合に出向いていました。

現在 Vリーグ に所属している 久光製薬 も、当時は9人制だったので試合で顔を合わせてましたね。

その後のMAZDAのチームは強化が実り、前年の長野国体と宮崎国体で 2連覇 を果たしましたよ。


さて、入社式を終え、約2週間の研修を済ませたら各々が各地に配属されます。

私は本社の近くの営業所に整備士として勤務するようになりました。


ここから先の話は48年も前の出来事なので 時効 ということで…。

配属されて半年も経たない日の午前中のことで、新車の3ヶ月点検のしていた時です。

ささっと点検を終わらせエンジンの調整をしていたら カラカラ と音が出始めて突然停止したのです。

「あれ?」と思い調べたら…新車のエンジンが 焼き付いて いました。


オイルを抜いた後、うっかりしてそのままエンジンを回していたのです。

このままでは一生エンジンはかかりません。


新車納入後の軽い点検ですからお客様にへは当日に納車の予定。

すぐさま上司と相談し、焼き付いたエンジンを 乗せ替え る事に。

急いで乗せ替えが可能な 中古エンジン の有無を確認しながら、お客様へは車両を預かる時間の延長の交渉です。

確認が取れるまでは 生きた心地 はしませんでしたが、なんとかエンジンも確保でき、時間の延長についても承諾してもらいました。


しかし 猶予 はそんなにありません。


急ぎ代替えのエンジンの有る工場へまで牽引して行き、自走 できるまでの作業を終わらせて営業所に帰り着いたのが夜11時過ぎ。

それから帰宅して床に就いたのは2時近くだったと記憶しています。


翌日に念入りに洗車して無事に引き渡しが出来ましたが、当然お客様はエンジンが変わった事は知りません。


入社初年度に起こした 大失敗 でした。


この事は悪い事例として全社員に知れ渡る羽目になりましたが、減俸などの処罰もなく 厳重注意 で済みました。

多分、新人だったから寛大な措置だったのかなと。

そのエンジンを焼き付かせた緑色の車は今でも目に焼き付いています。

グランドファミリア の4ドアセダン、排気量は1600ccでマニュアルの4速フロアシフトでした。


オーナーの方に心の中で お詫び します。



それではまた…。

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